三井不動産の菰田正信の年収と経歴!年齢や学歴に家族構成も!

三井不動産 菰田 正信の年収と経歴!生年月日や学歴は?komo1
 
 
1981年に国内初のアメリカ式ショッピングセンター
「ららぽーと」を開業した
三井不動産 代表取締役社長 菰田 正信(こもだ まさのぶ)さん

いったいどんな人でしょう?

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目次

三井不動産の菰田正信の年齢や学歴

生年月日:1954年6月8日 (年齢 64歳)

出身:東京都大田区田園調布

学歴:東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)
東京大学法学部卒業
 
 
中学・高校時代はバスケットボール部に所属
大学時代は母校の学生コーチを務めた。
 
 
1978年に三井不動産株式会社入社

三井不動産の菰田正信の経歴

三井不動産株式会社を選んだ理由

就職を控え、会社を訪問してまわっていた時、

新宿や、霞が関の高層ビルを核にした新しい街を目にし、
「こういう街づくりに関係する仕事もいいな」と思ったことが理由。

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三井不動産に入社後

入社後:ビルディング事業部の計画課に配属

土地を入手し、ビルなどの建物を建てていく部署
 
 
そこで出会ったのが当時課長代理をしていた
現三井不動産代表取締役会長の岩沙弘道さん

プ~
こんなに早い時点で出会っていたんですね

当時、岩沙氏には「何かを考えるときは、まず大きな絵を描け」と教わった。

会社の将来はどうなるのか、
自分たちはどういう仕事ができて、

「こういう街をつくってみたい」「こういう人の役に立ちたい」
という夢がどう実現するのか、

まずはそういう絵を描け、と言う。
 
 

6年後:福岡支店へ転勤

大規模宅地用地の買収や、一戸建て住宅の分譲を経験

1988年:本社人事部へ異動

課長代理として2年間採用を担当

バブルの膨張期、どこの企業も大量に人を採用していた
人手不足だった。

「100人採れ」の社長命令がでていた。
 
 
しかし、菰田正信さんは

採用をしてしまった場合、定年まで約40年かかる。

バブルの状態が、40年もの間続くわけがない
と考え、採用人数を67人に抑えた
 
 
社内から「増やせ」の圧力がかかった。
が、バブルが崩壊した時には、「なぜ60人も採ったのか」と言われた
 
 
「企業経営をする時には、中長期的な視点が欠かせない」
との思いを強める

1990年代:用地買収の指揮を取る

7年間横浜支店で課長として用地買収の指揮官を務める
取得した用地の整備から建設、販売までを担う部門

社内で「マンション支店」と呼ばれたほど、
次々にマンション開発の実績を上げた拠点だ
 
 
その間、2度、厳しい時期が訪れた。
景気の低迷や金融危機などにより、住宅需要が低下

「いま、土地を買わなくてもいい」
そう、言い切った。

逆にいったん買うと決めた土地には「値切ってこい」だ。

その後

2003年:経営企画部長
2005年:執行役員
2006年:グループ執行役員(三井不動産レジデンシャル取締役常務執行役員)
2008年:常務執行役員
2009年:常務取締役
2010年:専務取締役

2011年6月から現職

三井不動産の菰田正信の年収

2013年度の報酬は1億7700万円だそうです。

プ~
ゴーンさんと比べると地味に感じますね

ちなみに同年度のカシオ計算機 樫尾 和雄さん
の報酬は12億3300万円だったそうです。

三井不動産の菰田正信の家族構成

菰田正信さんが子供の頃の家族は両親と姉、弟の5人家族

ただし、現在の家族(妻や子供)に関しては、ネット上で情報が見つかりませんでした。

プ~
こんなことってあるんですね
有名な方なのに

三井不動産の菰田正信の年収と経歴!年齢や学歴に家族構成も! まとめ

まだまだ色んなエピソードや勉強になること
ありそうですね。

カンブリア宮殿でも紹介されるとのことですので、
楽しみです。

では最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!

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